まいにちねむい

依存症者の日記

感情について

 

最近、仲間に言われたり、Twitterなどで指摘されて気づいたのですが私は自分の感情を無かった事にしたり、飲み込んだり、抑圧しているようです。

 

確かに誰かと話をしていて「嫌だな」と感じても飲み込んで、無難に流します。

それが大人としての対応だと思うからです。争いが怖いからかもしれません。

 

この対応自体もどうなのかわかりませんが、この後に自分自身のケア、心のケアが出来ていません。

傷ついた感情を受け止めてあげる。

 

私はインナーチャイルドや、

自分をヨシヨシしてあげる、

自分を可愛がってあげる、

そんな言葉にすごく抵抗を感じます。

とても出来ないと思ってしまいます。

 

あと、私がやっとの思いでしていることがあります。

それは感謝を伝えることです。

ありがとう、感謝しています。

これはとても言いづらいです。思っているのに言いづらいです。

そしてもっと言いづらい言葉が好意を表す言葉です。

素直に、好き、大好き、愛してる、と言葉に出せる人が羨ましいです。私がそう言える時は、本当にそう思った時の100回に1回くらいです。

祈っています、祈ります。これも心からそう言うことが出来ません。

そんな風に言える人たちを私は本当に尊敬します。

 

話は脱線しましたが。

 

今、感情ノートをつけています。

都度、時間があるときにその時の感情を書いています。

体がだるい、イライラしている、悲しい、虚しい、嬉しい、楽しい。

色んな感情があることに驚きます。

 

大げさな話ですが、私は生きているんだなあ、と思います。

 

感情を見つめることで、素早く自分の気持ちに気付いて心のケアが出来るようになると思います。

それには時間がかかると思いますが、今までずっと見て見ぬふりの生き方をしてきたので仕方ありません。

これから、です。

 

ずっと、ギャンブルをとめることが目標でした。

もちろん今もそれは変わりません。

ただ、そこにキラキラした生き方がしたい(これは今考えました‪w)という夢みたいなものが加わりました。

 

ギャンブルはある意味、感情を麻痺させる一番のクスリだと思います。

やっている間は何にも考えずにすみます。

 

だから、スリップした後にはすごく悩んでいた問題が何だっけ?みたいになることもしばしばでした。

現実感が無くなる。

 

生きていて辛いんですね。

やってられない。

だから、ギャンブルに走る。

私はそう思います。

 

感情を麻痺させず、

いきいきとした感情を感じながら、

自分を感じながら、生きていけるのかなあ。

今は想像つかないけど。

長くなりました、読んでくれてありがとう。

 

 

 

 

 

ミーティングの魅力

ミーティング。

自助グループのミーティングというのは、経験したことのない人に説明するのが難しい気がします。

言いっ放し聞きっぱなしの守られた空間の中で、同じ問題で苦しむ人達がそれぞれ話をする。

同じ悩みを持っているからこその深い共感、ギャンブルを止め続けている仲間の経験の話、回復していけるよという希望の話。

そして一体感のようなもの。

こんな言葉を並べるのでは足りないくらい、ミーティングは不思議で素敵です。

 

今でこそミーティング大好きな私ですが、昔からこうだった訳ではありません。

 

初めてギャンブルの自助グループに参加した時、年配の男性ばかりで怖くて緊張して、がたがた震えていました。

自分の番が回ってきて、何を話したか分かりませんがなぜか涙が止まりませんでした。

それでもハンドブックの20の質問を読んで、ああ私は病気なんだ、ただクズ人間なだけじゃないんだと知って、救われた思いでした。

 

何回か通いました。

ギャンブルは止まらない中、いつも泣きながらの分かち合いでした。

会場に女性の姿はなく、私はなんだか自分が場違いのように感じました。

いつも緊張してしまうこと、ギャンブルが止まらないこと、言い訳を並べて通うのを止めました。

 

そこからまたミーティングに戻ってくるのは、まあよくある話ですよね。

一人では止められないですから。

 

✩°。⋆私のミーティングが好きな理由꙳★*゚

 

①言いっ放し聞きっぱなしがイイ!

  おしゃべりは苦手でも、ゆっくり自分の気持ちを話せますから

 

②正直になれる

仲間の話を聞きながら自分の場合はどうだろうと自分と対話したり。

楽しい話も苦しい話も、スリップの話も、聞くことも話すことも、心の奥深くに響くことがたくさんあります。

 

③あたたかい

これが一番かもしれません。

仲間の中に囲まれていると、それだけでパワーを貰えます。

仲間を得て全てが始まると思います。

 

そして今、

初めは慣れなかったオンラインミーティングも、確実にこの情勢の中で必要なものでした。

仲間を助けたい気持ちで行動を起こした、たくさんの仲間にお礼を言いたいです。

ありがとうございます。

 

リアルのミーティングの雰囲気はなくとも、仲間の苦しみに対する共感、

心の中で励ましたくなるような気持ち、

良かったねと一緒に喜びたい気持ち、

平安の祈りを唱える時は、きっとみんな笑顔なんじゃないかと勝手に想像してます。

 

これから少しずつ、リアルのミーティングが再開出来るんじゃないかと思うとテンションが上がります。

たぶん確実に泣きます(笑)

 

ギャンブル依存症のきょうこがありのままで居られる場所、

私はミーティングが大好きです。

 

 

 

底つきと信じるの話

 

 

あれ欲しいこれ欲しい、という物欲。

人の持ってるものがキラキラして見えて、羨ましかったり。

いいねが欲しかったり、見て欲しくてブログを始めたり(笑)

 

色々と欲しいもの、満たされないものはあるけれど、

 

私が本当に欲しいものは

心の落ち着き、平安です。

 

いつからか、その感覚を少しだけ掴んだ日から、それが幸せなんじゃないかと思うようになりました。

 

物をたくさん買ったり、

恋をしたり、

ギャンブルで勝ってワーッとなったり、

危ないことしてドキドキしたり。

テンションの上がることは好きです。

生きてるって感じるのが、一番でしょと思ってました。

 

本当に最近になって、

落ちついていて、穏やかで、すーっと息のしやすい心の在り方に魅力を感じるようになりました。

 

この感覚を私は知りませんでした。

ずっと心は騒がしくて、落ちつかなくて、何かで埋めるのが解決方法だと色んなものに依存してた気がします。

 

男性、ギャンブル、食べ物、寝ること、それから自分はなんて可哀想なんだろうと思う自己憐憫

 

スリップ。

二週間打って、くたくたになって、

その時に私はもう疲れ果てたと思いました。

 

ギャンブルにハマる前からずっと私は生きるのがつらくて、何かにすがらないと心が空っぽで、虚しくて。

特に、人と接する中で生まれる感情に振り回されてしまう自分が苦しくてたまらなかった。

もう、うんざりだ、心からそう思いました。

 

ギャンブルが止まらないから不幸なんじゃなく、

私の生き方がどうしようもないんだ。

 

そう気付いた日に、自分を超えた大きな力というものを信じてみよう、いや信じる、と決めました。

 

助けてほしい。

だって、もうこんなんじゃ生きていけない。

 

私にとってそれは、劇的な体験でした。

今までの数えきれないスリップと、もう嫌だと叫んで泣いたこと、狂ったこと。

どうしてそのタイミングだったのかは分かりませんが、その特別な日から、私のギャンブルは止まっています。 

 

とはいえ、ゲーセンで打ってしまったのが何回かあり。

そんな時の私は、心がどよんとして、ぐちゃぐちゃしていて、やさぐれモードです。

平安なんて遥か彼方になっちゃいます。

 

でも私の心の真ん中には光があって、

それはどんなに落ち込んでも、見えなくなっても、ずっとある。消えない。

どんなにやさぐれても、不思議と守られていると思うのです。

 

その繋がりをしっかりと感じる時、

心が静かに満たされて、その穏やかさが幸せだと感じます。

 

昔の自分では想像も出来なかった、生き方。

笑える、人の役に立てる、生き生きと人生を楽しめる、愛を感じられる。

ステップに取り組み実践して生きるなら、そんな風になっていけるんじゃないかと、今の私には希望があります。

 

希望を感じられる事が、幸せです。

 

ギャンブルをしないことが自助グループに繋がってすぐに達成出来たら、

楽勝だったら、私はステップに取り組まなかったと思います。

今となってはスリップしながらも通い続けて、仲間と出会い、新しい生き方を見せてもらえて本当に良かったです。

 

まだまだまだまだ未熟な私ですが、

ステップに取り組み、実践しながら、

仲間と分かち合いながら、回復を楽しんでいきたいです。

 

 

読んでくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

はじめて打った日

 

 私がはじめてパチンコ屋に入ったのは、24歳の時でした。

 

 当時付き合っていた彼氏との待ち合わせ。電話が鳴り、

 「ごめん、遅れる。いま、スロットが出ててさ」

 その時の私はパチンコ屋に入ったこともなく、なんとなくのイメージは、悪いおじさんたちが行くところ。まったく私には縁のないところだと思っていました。

 恐る恐る入ったパチンコ屋は、薄暗く、騒々しく、煙草くさい。

 

 彼が打っていたのは5円スロットのエヴァでした。

 言われるがままに操作すると、すぐに当たります。

 ビギナーズラックですね。

 

 私は身近にギャンブルをする人がおらず、この時はじめて「お金になる」ことを知りました。

 アニメの台もあるし、すぐに当たるし、しかも儲かるなんて結構楽しいかも?

 はじめは本当にそんな単純な、無邪気な感想だったんですね。

 

 彼氏は専門学校生で、私は稼ぎのないアルバイトでした。

 デートでパチンコ屋に行くようになりますが、打つのは5円スロットか1円パチンコでした。

 二人で打つのは楽しかったですね。

 隣同士座って、熱いリーチに一喜一憂して。勝っても負けても、あー楽しかった!で終わっていた気がします。

 

 いつからか一人でも行くようになりました。

 数千円の範囲で打っていたのが、当たるまで際限なく打つようになり、

 勝ったらもっと増やそうと思って、4円パチンコに。

 バイトをすっぽかし、友達との約束をドタキャンし、母親にお金を無心する。

 

 初めて打ってから1年半くらいで、そんな状況に陥りました。

 

 彼氏にもパチンコに行っているのを隠すようになりました。

 彼はその時、夢を見つけて、貯金をしようと節約するようになっていました。

 ただ遊びで打っていたパチンコはやめて、外食も控えて、バイトを頑張っていました。

 

 私は置いてきぼりにされた気持ちで、彼への執着と、ギャンブルへの依存を深めていきました。

 結婚したら幸せになれると思っていました。

 私の幸せはすべて彼任せでした。

 彼がもっと構ってくれたら、双極性障害じゃなかったら、私はギャンブルしなくてすむのに。

 

 その時は、やめたいではありませんでした。

 勝ちたい、でした。

 ずっと勝ちさえすれば、何も問題はない。

 気持ちよく勝って、趣味としてやっていればいい。

 

 完全にコントロールを失っていることは、認めませんでした。

 

 彼には距離を置かれ、ギャンブルは勝てず。

 落ち込んだ時には死にたくなり、腕を切ったり、薬を飲んだりしました。

 でも彼が家に来てくれた時や、大勝した時は、めちゃくちゃテンションが上がり、なんて幸せなんだと思います。

 もともとの気分障害に加え、ギャンブルと彼への依存で、気持ちの上がり下がりが異常なものになっていました。

 

 彼にフラれる前の出来事です。

 

 お財布は空で、私は少しでもいいからパチンコが打ちたくて。

 彼のアパートで「打ちに行こうよ」とごねました。もちろん、彼のお金をあてにして。

 俺はいいよ、と言い続けるので「それじゃあ貸して欲しい」と言いました。

 彼は三千円貸してくれました。私は近くのパチンコ屋に走りました。

 何十分後か、また彼のところに行って、貸して欲しいと頼む私がいました。

 

「消えてくれよ!」

 とお札を投げつけられた時、ショックで震えながら、何てことをしてるんだろうと思いながら、お金を拾ってパチンコ屋に行きました。

 

 パチンコしていれば、嫌なことはすべて忘れられる。

 気持ちが楽になる。頭を空っぽにしたい、楽になりたい。

 いつでもギャンブルをしていたい。

 いつの間にか、そんな風に狂っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ミーティングの司会

今日は初めてオンラインミーティングの司会をさせてもらいました。

仲間にフォローしてもらいながら、なんとか最後までやりきる事が出来ました。

 

進行の仕方はなかなか難しいなと感じましたが、これは回数をこなすうちに慣れてくる気がします。

仲間の顔が見えないからか、緊張感はやっぱりありました。

気が抜けない。

というか、司会が久しぶりなんですね、約3ヶ月ぶり。

司会はいつも緊張するし、あたふたするのを忘れてました(笑)

 

私が初めてミーティングの司会をさせてもらったのは、いつだったか。

ホームグループに入って、ギャンブルが少し止まっていた時期だったと思います。

2回目の司会の時かな。

私は途中で急に緊張してきて、声が震え、手が震え、頭が真っ白になりました。

その時に参加していたのは、よく知っているメンバー数人だったのに、です。

 

 

あの時の私は、仲間にどう思われるかが今よりもっともっと気になっていました。

自分が好きな仲間には尚更、よく思われたくて、失敗したくないと思っていました。

いつも緊張して、心も体も張り詰めていました。

 

いつからか仲間の中で、

思いきり笑ったり、弱音を吐いたり、自分の考えを言えるようになりました。

少しずつ、役割もやらせてもらう中で、成長させてもらいました。

 

私は基本的にコミュニケーションが苦手で、人見知りです。

まだまだ自分を出すことは下手で、会話は緊張したり慌ててしまうことが多いです。

 

だからこそ、言いっ放し聞きっぱなしのミーティングに救われるのです。

安心して自分の気持ちを話せる場所、私にとってミーティングはなくてはならないものです。

 

初めはオンラインミーティングを軽視していました。今だけだから、と。

でも実際に会場で出来ない今、もっと大切に、真剣に取り組みたいと思いました。

 

今、出来ること。

そして与えてもらっている恵みに、目を向けたいです。

 

 

助けて、と言うこと

 

助けて、と言うこと。

弱い自分を見せること。

本音を打ち明けること。

 

私はそういうことが苦手だなあと、今回の事でつくづく感じました。

 

ミーティングは楽なのです。

言いっ放し聞きっぱなしで、批判する人もアドバイスする人もいません。

反応がない分、本音をさらけ出せます。

今まで何十回ミーティングで泣いたかわかりません。

私にとってミーティングは安心出来る、大好きな空間です。

 

それに対して人はどうか?

私は正直、人が怖いです。

人を求める気持ちと、拒絶したい気持ちが交互に訪れます。

それは私の生き方に、人との付き合い方に何かしら無理があるからだと思います。

 

私はステップに取り組んでいますが、

その生き方の原理を実践出来ているか、と聞かれると出来ていません。

これも、実践したいとやる気に満ち溢れた時と、私にはとても無理だと投げ出したくなる時を行ったりきたりです。

 

人を頼るには、とても勇気がいります。

でも勇気を出してみると、仲間たちは助けの手を差し伸べてくれます。

優しいのです。

それなのに私は、いつも人を疑ってしまいます。

私なんて好かれていない、

どうでもいいと思われているんだ、

妄想に囚われて、1歩も動けなくなります。

ギャンブルはすぐそこまで迫ってきます。

 

私は仲間は助けてくれることを知っていながら、連絡をしませんでした。

 

一つには心のエネルギーがあまりにも不足していて、どんな言葉にも対応出来ないと思ったからです。

 

二つめ、大きな理由は、

ありのままの自分を見せるのが、怖いのです。

苦しい、どうしようもない、辛くて仕方ない。

そんな私はきっと仲間と話せば、泣くでしょう。

泣いて泣いて、感情を爆発させるでしょう。

それが、出来ない。

したくない。

元気になった私で、明るく話したいと思いました。早く、そうしたかった。

でもそんな無理も出来ないほど、疲れ果てていました。

 

心のエネルギーが戻ってきて、久しぶりにステップの本を読みました。

私はやっぱり、一人で頑張って奮闘してくたくたになる生き方より、神様にゆだねる生き方をしていきたいと改めて思いました。

 

めちゃくちゃしんどかったウツだけど、

ゆっくり休むこと、そして自分を労わることを学びました。

自分の心を見つめる良い機会にもなりました。

 

無理をしない、

助けて欲しいと誰かに言える。

そうなっていけたらいいなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気力が戻ってきた

 

2月の中頃から今まで、ウツが続いていました。

ようやく最近マシになってきて思うのは、今回はだいぶ重かったなという事です。

 

頭の働かない感じ、激しい落ち込み、希死念慮、過眠、身体のだるさ。

段々と日常生活を送ることが難しくなっていきました。

パートに行けなくなり、人と接することがしんどくなりました。

そして気がついたら、ゲームセンターでスロットを打っていました。

頭を空っぽにしたい、楽になりたい。

この時は仕事を無断で休んでしまい連絡も出来なかったことが、大きな原因でした。

心の中は恐れでいっぱいで、それから逃避するために台の前に座ったんだと思います。

 

私はこの時、誰も相談出来る人はいないと思いました。

心は孤独感でいっぱいでした。

たくさんの仲間がいながら、誰にもスリップしそうだなんて相談出来ないと、本気で思いました。

 

そんな私にきっかけをくれた仲間がいて、私は何人かの話せる存在だと思った仲間に連絡をしました。

みんな返信をくれました。

私なんて大した存在じゃない、誰からも気にされてない。

そんな思い込み、悪い妄想がすーっと消えていきました。

同時にギャンブルをしたいという気持ちも、薄れていきました。

 

不思議です。

 

それから今までウツは続き、

仲間とおしゃべりという気分にはなれないでいました。

 

でも孤独感はありませんでした。

話せるようになるまで待ってるよ、ゆっくり休んで良くなってね。

祈ってるよ。

そう言ってくれる仲間の優しさが、暖かさが、ずっと私の心の中にあるからです。

 

少しずつ気力が戻ってきました。

仲間と話したいな、と思えてきたことが本当に嬉しいです。