まいにちねむい

依存症者の日記

助けて、と言うこと

 

助けて、と言うこと。

弱い自分を見せること。

本音を打ち明けること。

 

私はそういうことが苦手だなあと、今回の事でつくづく感じました。

 

ミーティングは楽なのです。

言いっ放し聞きっぱなしで、批判する人もアドバイスする人もいません。

反応がない分、本音をさらけ出せます。

今まで何十回ミーティングで泣いたかわかりません。

私にとってミーティングは安心出来る、大好きな空間です。

 

それに対して人はどうか?

私は正直、人が怖いです。

人を求める気持ちと、拒絶したい気持ちが交互に訪れます。

それは私の生き方に、人との付き合い方に何かしら無理があるからだと思います。

 

私はステップに取り組んでいますが、

その生き方の原理を実践出来ているか、と聞かれると出来ていません。

これも、実践したいとやる気に満ち溢れた時と、私にはとても無理だと投げ出したくなる時を行ったりきたりです。

 

人を頼るには、とても勇気がいります。

でも勇気を出してみると、仲間たちは助けの手を差し伸べてくれます。

優しいのです。

それなのに私は、いつも人を疑ってしまいます。

私なんて好かれていない、

どうでもいいと思われているんだ、

妄想に囚われて、1歩も動けなくなります。

ギャンブルはすぐそこまで迫ってきます。

 

私は仲間は助けてくれることを知っていながら、連絡をしませんでした。

 

一つには心のエネルギーがあまりにも不足していて、どんな言葉にも対応出来ないと思ったからです。

 

二つめ、大きな理由は、

ありのままの自分を見せるのが、怖いのです。

苦しい、どうしようもない、辛くて仕方ない。

そんな私はきっと仲間と話せば、泣くでしょう。

泣いて泣いて、感情を爆発させるでしょう。

それが、出来ない。

したくない。

元気になった私で、明るく話したいと思いました。早く、そうしたかった。

でもそんな無理も出来ないほど、疲れ果てていました。

 

心のエネルギーが戻ってきて、久しぶりにステップの本を読みました。

私はやっぱり、一人で頑張って奮闘してくたくたになる生き方より、神様にゆだねる生き方をしていきたいと改めて思いました。

 

めちゃくちゃしんどかったウツだけど、

ゆっくり休むこと、そして自分を労わることを学びました。

自分の心を見つめる良い機会にもなりました。

 

無理をしない、

助けて欲しいと誰かに言える。

そうなっていけたらいいなあ、と思います。